先日は、祖母の一年忌を無事に鹿児島で終えてきました。
ちょうど1年前の今頃、東京から鹿児島へ引き上げて、
そのすぐあとにばあちゃんが亡くなって、
その半年後に父が亡くなって、
急にさみしくなってしまったけど、
集まった親戚と、ばあちゃんや父を偲んでとってもいい時間を過ごすことができました
おかげさまで、わたしの母もだいぶ元気になりました。
先月産まれた初孫に夢中の様子
そんな母も最近ではインターネットができるようになり、
最近はyou tubeで好きな音楽を聴いたり、大好きな猫の動画を見たりして楽しんでるみたいです。
それに、「特打」というブラインドタッチを練習するゲームに夢中で、
下を見ないでもかなりのスピードで文字が打てるようになっています。
鹿児島に帰る度に上達していてびっくりします。笑
わたしのブログにもコメントを書き込めるようになりました。
コメント欄なのにメールみたいな内容です。
6月に母がくれたコメント ↓
土日東京かー忙しそうだねー鹿児島はやっと雨ですあじさいの花がいきいきしています山下さんがお父さんのビデオおくださり久しぶり喋っているお父さんに会い不思議な感じでした。特打は少し上手くなったけどまだまだ難しいですそのうち早く打てるようになればいいなー肩がかちかちになってます絵文字などまだこれからですいつになったらすらすら打てるやらー
「を」が「お」になっている(笑)
まさかこの歳になって自分がパソコンを使えるようになるなんてとすごく嬉しそうでした。
歳をとってくるとみんなそうかもしれませんが、
うちの母は、同じ話を何回もする癖があって、
それが続くと、「あーまたかー」ってうんざりすることがしょっちゅうありました。
で、それがあまりに頻繁だと、
「その話し、105回目だよ(笑)」なんて冗談混じりの意地悪を言うときもあったんですが
先日、アバターのワークをしていたら、
わたしは人を修正しようとする癖があることに気付きました。
「もっとこうしたらいいのに」
「もっとこうしたら良くなるのに」って、
口に出さないまでも、いつもどこかで思っていたんです。
わたしはどこかで、
「わたしは意識のこと勉強してるんだから、なんでもわかってる」
みたいに思って、どこかで相手を修正しようとしてたんです
母に対してはもちろん、誰に対しても。
そんな自分にゲゲーッって思いました。
同じ話を何度もする母に対しても、
「どうして話しするときに気づかないんだろう?」なんて思ってて。
むしろ、その話はもう聞いたよって修正してあげるのが、優しさだなんて思ってる部分もありましたが、単に、何度も聞くのがめんどくさいだけだったんですよね優しくない娘ですね、ほんと。
一番大切な母親に優しくしてあげたい。
それを頭ではわかっているのに、できない自分にイライラしていました。
でも今回、母と一緒に過ごして、
そのままの母を感じてみました。
相手を変えようとせずに、
一緒にいることをただ楽しんで、
聞いたことがある話しもうんうんと聞きました。
そしたら母もとてもうれしそうで、
お互いとてもいい感じでした
そのままの相手を味わって、
そのままの相手を感じて、
そのままの相手に感謝して、
ただ一緒にいることを楽しんだらいいんだなーって。
答えはとてもシンプルでしたすっごい基本的なところに立ち返りました
鹿児島に帰ると、パソコン操作でわからないところをノートに書いておいて質問してくる母これからも母といい時間を過ごしていけたらいいなあと思います。