今日は由美先生のクラスを受けにstudio-yoggyへ
体がだるかったんだけど
やっぱり、ヨガしたら気持ちよかったぁ!来てよかった。
今日のクラスは、「春の浄化法」という内容だった。
新しいものを受け入れるスペースを作るために、手放したいものをすべて書き出してみましょうという用紙が配られる。
やってみると、おもしろいように書けるらしい。
執着心の固まりのようなわたし。
もし地震がきて、逃げ出すときに
持って逃げるものが多すぎて逃げ送れる・・・タイプかも(笑)
友達が、旅先で財布をなくしたことがあったらしい。
始めはすごく困ったけど、
途中でなんか全てがふっきれたと言っていた。
それが悟るってことなのか!?
必要なものとそうでないもの、こころの中をきれいに掃除しなきゃなぁ。
余分なものが、そぎ落とされていって、
身もこころも、かるーくなれたらいいね。
僕が考える悟りとは「石」のように生きることです。
あるがままに存在を認識し、時に雨にうたれ風化し丸みを帯びていきます。
とても時間がかかります。
また湿り気がないと割れてしまいます。
今、潤いを湿り気に変える実験をしています。
「石」ですか。なるほど・・・。
ほんと毎日の積み重ねですね。
潤いを湿り気に変えるなんて、すごい!
どんな実験なんでしょう。。。
わたしは最近、自分の意識ひとつで、自分も周りもいい方向に変わっていくんだってことを、実感しています。
ヨガをするようになってずいぶん意識が変わった気がします。
↑の旅先での、お財布のくだりわかるなぁ・・・
5年も同じところで、暮らしていると、物だけじゃなくて、
いろんなモノを溜め込んでしまいますよね。
私もヨガをとおして、いろんな執着から自由になれたらな・・と、おもってます。
良いものを信仰しだした少し頭デッカチのフランスから来たあるヒッピーは、リシケーシュで名の知れたヨガの先生に弟子入りを申し出たが断られた。
ヒッピーは怒った。
「ぼくはヨガを習いたいだけなのだ、ヨガはそんなに一部の人々のためにだけあるものか」
すると先生は、こう言ったのだ。
「地平線を見ること、これはヨガだ。傍にころがっている石や岩を持ち上げてみること、これもヨガだ。月の軌道を、その消え入るまで目で追ってみること、これもヨガだ。ガンジス河に入って身体を水に浸す、これもヨガだ。沼に降りていって身体に泥を塗り捲ること、これもヨガだ。コブラの頭に接吻をすること、これもヨガだ。逆立ちを自分がいつも足を下に向けて地の上に立っているのと同じくらいやってみる、これもヨガだ。ガンジス河が流れるようにいつも動いていること、つまり旅、これもヨガだ。まったく動かないこと、たとえばヒマラヤ山脈ふもと樹木の下のブッダのように、これもヨガだ。」
「歌うこと、花のにおいを嗅ぐこと、描いてみること、持ってみること、触れてみること、食べてみること、着てみること、裸になってみること、見てみること、見ないこと、在ること・・・行為、それらはすべてヨガだ。つまり、我々の中に失われつつあるもの、そのどれをとってみてもヨガだ」
そのヒッピーは幸運なことに、頭の血のめぐりがよかったので、インド旅行を続けるのを、ぼくは目撃した。
「reiさん」
コメントいつもありがとうございます。
財布の件、共感できるあたりさすがです。
きっと、レベル?が上がってくれば
身も心もかるーくなって、ふわふわできるんでしょうね(笑)
たぶんものすごく『楽』な状態なんではないかと・・・。
「はみだせ日本さん」
深い。深すぎです。。。それって、実話なんでしょうか?きっと何も特別なことは必要ないってことですよね。
どんな環境にいても、やれる人はやれるし、できない人はできない。。。と思います。それも意識だと思います。一生をかけて悟りの境地に一歩ずつ近づけたらいいですよね。