小沢健二のsongs、すごく良かった!
彼の紡ぐ優しくて力強い言葉もぐっと胸に響きました。間違える力を、わたしも持ちたい。
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英語のテスト
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よく「日本人は学校で6年以上も英語を習うのに、なぜか英語がしゃべれない」と、言われる。
僕はよく、人が英語で妻に話しかけるのを聞くが、大学まで英語の教育を受けた人が、全然妻と話せなかったりする。それを見ていて、気がついた。
おそらく「日本人は何年も学校で英語を習うのに、英語がしゃべれない」という言い方は正しくない。
本当はたぶん「日本人は何年も学校で英語を習うからこそ、英語がしゃべれない」のだと思う。
多くの人にとって英語は、人と話すための道具ではなくて、テストの科目になってしまっている。
だから、英語を喋る状況になると、自分の学力を問われている気がして、ガチガチに緊張して、ビクビクしてしまうのだと思う。
見ていると、気のせいかもしれないが、大学に行かなかった友人たちには「英語の成績なんて悪かったから、間違えても全然平気」という気楽さを感じる。
一方で、いわゆる「高学歴組」には、「ここで発音や文法を間違えたら、みんなの前で大恥をかくことになる」みたいな緊張感を感じる。
学校のテストは、間違えるたびに、百点満点から減点されていく、減点法。テストで点を取るには、間違えない力が必要。
ところが、外国語を喋るには、実は、間違える力が必要なのだ。
外国語は、間違えながら、トライするもの。そして、意味が一つ通じるたびに、1点1点、加点法で心が通じていく。
ところが、「英語の成績良かったです」組は、間違えてはダメ、と思っているから、正しい言い方を探しているうちに、話すタイミングを逃したり、間違いが怖くて、人に話しかけられなかったりする。
彼らは、間違える力を、失ってしまったのだ。
学校のテストでついた、間違えてはいけない、という恐怖。
その恐怖から、自由になりたい。
英語だけの話ではない。
この世は結構、減点法ではなくて、加点法で動いている。
小さな子どものような、間違える力を、持ちたい。と、僕自身についても、いつも思う。
#小沢健二#songs#ソングス#間違える力