産後に1ヶ月ほど
母が手伝いにきてくれていたのですが、
実は母とぶつかってばかりでした。
大したことでもないのに
私のほうが一方的にイライラしてして、
それをぶつけてしまう。
母には感謝しているのに、
嫌なことばかり言ってしまう自分。
わたしは一体何をやっているんだろう?
どうして母に優しくできないんだろう?
こんな自分自身にほとほと嫌気がさしていました。
そんなとき、
吉永めぐみさんという方の書いた記事
「母親に優しくできない原因」(母親の愚痴や弱音を聴くとイライラする)
をみつけました。
(一部抜粋)
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「母親に優しくできない原因」
あなたは子どもの頃、
母親の愚痴の聞き役になっていませんでしたか。
母親の愚痴の聞き役になることで、
母親に役立っていると感じ、
愛されていると感じていませんでしたか。
子どもは母親のしんどい思いを聴くと助けたいと思います。
お母さんが大好きだから。
そして、子どもは母親を助けるために
たくさんの我慢をし、
子どもらしくいることをやめて
母親の頼りになる存在になろうとします。
そうなることで母親の愛情を感じるし、
自分の存在価値も感じることができるからです。
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これを読んで泣けてしょうがなかった。
ああ、これまさにわたしだ、って思いました。
こころの深いところにある
なんだかよくわからないけど満たされない気持ち。
母をいつもこころのどこかで責めている気持ち。
その正体がようやくわかった気がしました。
そしてこんな気持ちに気づきました。
そうか、
わたしはもっと母に甘えたかったんだ。
母にいつも笑っていてほしかったんだ。
母にわかってほしかったんだ。
母に認めてほしかったんだ。って。
小さいわたしは
一生懸命、母親の役に立とうとしていたんですね。
なんて健気なんだろう。
こどもの頃の自分を
抱きしめてあげたくなりました。
そして今日
そのことを母に電話で伝えました。
母にわかってもらえたことで
わだかまりがスーッと溶けていきました。
二人で号泣でした。
母も若かったし父は亭主関白だったし
子育ても大変だっただろうと思います。
すごくすごくつらかった時期もあったそうです。
感受性が強かったわたしは
それを敏感に察知していた子どもだったのかもしれません。
それでも一生懸命育ててくれた。
母も大変だったし、
わたしも大変だった。
ただそれだけだった。
長い年月を経てようやく
母のすべてを受け入れられた気がします。
今ね、子育てしていてしみじみ思うんです。
子どもから無償の愛を受け取っているなあって。
わたしもこんな風に、母のことが大好きなんだなあ。
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